七色遠景 -3ページ目

闇の宙

この世界に

また一つ暗闇が増えた瞬間

碧い海の水平線は 

闇の宙に黒く溶ける



この小さな窓の向こうの向こうの


小さな町にある


あの拾った子犬を連れた遠くの海で


今はもう影法師しかない

切り捨てたはずの思い出を

止め処も無く貪っても消えない孤独を

闇の宙に溶かすために

ブラインドタッチで

いつか聞いた言葉を 無心に打ち続ける


他人の欲望の渦に塗れて尚

鋭利な砂利の中に手を突っ込んで


無数の傷で手が痛んでも


そこに血は流れない


誰も気づかない 言葉の痛み


何かが欲しかったけれど


もうそれが何処にあるかすら

解らなくなったのが


最大の不幸


最大の幸福

プリン姫

プリンの奥底に溜まったカラメルを僕は、スプーンで何度も取ろうとしていた。


プリンの底の、花のような形がレンズになって、こびりついたカラメル越しに、泣いている彼女が見えた。

別れ話はそんな儀式のように静かで、ステンレスのスプーンがプラスチックに当たる音だけがしばらく響いていた。


僕と彼女の出会いはコンビニエンスストアだった。


桜色の柔らかな唇に、長い黒髪を結って、形のいい丸くて白い額を出して、


「いらっしゃいませ」


と、いつも微笑んでくれた。


白い額に映える、いつも少し潤んだ黒い瞳は、僕を捉えて離さなかった。


家事労働で洗剤で荒れたのか、コンビニでの荷物の運び過ぎか、少しごわついた生活感のある華奢な手から、


いつもつり銭を受け取る時、胸が締め付けられた。

何不自由のない私立大学生の僕は、長時間コンビニで夜まで働く彼女にいつの間にか心奪われていた。


僕は毎日、大学の昼休みに、そして終業後に、プリンを買った。百円の安いプリン。

いつも一つだけ。

消費税があるから、彼女は僕の手に必ずお釣りを渡してくれる。

消費税もなかなか役に立つじゃないか、とそういう時だけは思う。

彼女のことを、こっそり僕は「プリン姫」と呼んでいた。

彼女もまた、僕のことを「プリン君」と、心の中で呼んでいたらしい。

僕がプリンを買い続けたある日、電話番号を渡して、彼女と付き合えるようになった。

ちょっと白々しく、携帯のアドレスも「pudding」を付けたのに変えて手渡した。

彼女は僕の察したとおり、とても寂しい女の子だった。

寂しいから、僕の就職活動も忙しくなって、なかなか傍にいてあげられなくなると、誰かに傍にいてほしくて、他の男性と会うようになった。

すぐにそれは発覚した。「pudding」でないメールアドレスが、幾つもあった。


たまたま、否、前から疑っていたから、見てしまった。

彼女は


「ごめんなさい」


と泣いた。

僕がプリンの底を物惜しげに掬っているので

「わたしの分もあげるよ」

と彼女はテーブルの僕のほうに、指先でそっと遠慮がちにプリンを寄せた。

「本当はさ」

プリンから顔を離して、彼女を見た。


俯いてプリンを食べている素振りは、泣き顔を見られたくなかったから。

「本当は、プリンなんて大嫌いなんだよ」

涙を見られて開き直った僕は、吐き捨てるように言うと

彼女は黙ったまま潤んだ瞳で目を丸くして、僕を見つめた。

「君が覚えてくれると思ったから、男なのに毎日プリンを買ってたんだよ、ずっと。

意外性って、インパクトあるだろ」

しばらく黙ってから

「・・・・・・知ってた」

彼女は答えた。

彼女は付き合ってからも、僕の部屋で、よく僕に合わせてプリンを食べていた。

「わたしも」

彼女は、テーブルの上で僕のほうに寄せたプリンを、もう一度手元に戻して、白くてかさついた手でプリンの蓋を開けた。


カスタードをスプーンで小さく掬って、飲み込んで言った。

「プリンは大嫌いなの」

僕は、涙を溜めて鼻を啜りながら、彼女を見た。

「甘いものは子供の頃からみんな嫌い。アイスクリームも、ケーキも、クッキーも、チョコレートも」

「じゃあ、僕に合わせて食べていたの?」

彼女は首を縦に振った。

「僕がプリンが嫌いだと知っていて?」

また縦に振った。

「毎日買いに来るのがショートケーキじゃなくて良かった。まだプリンなら」

「……そのほうが安いからね」

上の空で、どうでもいい返答をしていた。

あんなに美味しそうにプリンを食べていたプリン姫。なのに。


「でもね、わたしが甘いものが苦手な理由と、女の子みんなが甘いものが好きな理由が、
なんとなく分かったの」

彼女は、僕の唇にそっと柔らかな唇を押し当ててきた。

彼女の温かい舌に粘り気のあるカラメルが絡んでいた。

「幸せの味は、甘いのね」

額をくっつけて僕を見つめてから、首を傾けて耳元で囁いた。

「みんなそう喩えるじゃない」

「そうだね」

僕は寄りかかる彼女を抱きしめて、改めてキスをした。

「僕もプリンが最近、好きになったよ」

唇を離して僕は言った。

「君の唇の味がするから」

彼女は微笑んで

「あなたは堅めでちょっとざらざらしたカスタードだね。


わたしはその上から溶けて甘く柔らかくするカラメル」

と、いたずらっ子ように笑った。

僕たちはそれから、クリーム色の月が隠れるまで、


柔らかく蕩けるカスタードとカラメルのように溶け合った。

プリン姫のナイトとして、もう一度だけ彼女を信じてみようと思った。



そう、偶然通りかかったカフェの窓ガラス越しに、


彼女が一人で、特大のプリン・ア・ラ・モードを、

今まで僕に見せたことがないような、


至福の表情で頬張るところを目撃するまで。



つけ爪

付け爪を貰った

赤と黄色のスパンコール

初めての付け爪

わたしの爪はいつも短く衛生的に切られていて

キャベツを切るのは早いけど

色香はない

 

これを付けて

誰の前で手を出そうか

テーブルの上で手を添えて

テーブルの下で足に触れて

シーツの中で背中に爪を立てて

 

思えばキスマークを付けたこともなければ

痕が残るほど爪を立てたこともなかった

不倫で証拠を残したくないとかそんなのではなく

マーキング

っていうの

とても下手なんだ

だからいつも終わりにするのに

相手は後ろ髪を引かれないのかな

わたしとの付き合いは 携帯メモリを消したら終わり

オートマティックで

衛生的

そしてその衛生的な手で

誰に何かを作るでもなく 

一人分のキャベツを

深夜に灯りをつけた小さなキッチンで刻む

 規則的なペースで

とんとんとん

 

今すぐに


いつも遠回りしてた


まだ答えを出したくなくって

もう少しこのままがよくって

南国の空気を封じ込めた

パイナップルの缶詰を開けるときみたいに

ぐるぐるぐる

巡ってたずっと

ギターのチューニングが

合わないままでいいから

弾き鳴らしてよ


わたしのそばで

今すぐに


出来ないなら

電話をして聴かせてよ

今すぐに

今すぐに


もう時間がないから

遠回りは出来ない

パイナップルの缶詰に

シロップだけ残って

鈍い銀色が

部屋の光を歪みながら映すんだ

時計の針の音だけが

部屋に響いて

残された時間をちょっとずつ削っていく


蓮の花



蓮の花 浮かぶ


水面(みなも) は映す薄紫色

留まらず揺れる 蓮の花と水面

寄り添うようにして光を映し合う


突風に 水紋拡がり 花の幻影をかき消せど

蓮の花は尚も動かず

蓮の花 根を張る

深き土の中に太い指を刺し

泥土から掬い上げる堅き命を淡き花弁の色に変え


今日は穏やかな風

蓮の花 浮かぶ

水面は映す薄紅色